論説
— 贖い ー
「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ 10:45)
「キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。」(テトス 2:14)
私たちはイエスの誕生つまりクリスマス、その地上の生涯、十字架の死と復活、そして昇天、そしてイエスの後に使わされた方、聖霊がおいでになったペンテコステを記念します。これをイエスの「初臨」といい、もう一度地上においでになることを「再臨」と言います。
今は聖霊と教会の時代、すなわち「新約の時代」で、イエスの再臨を待っています。
イエスの初臨の重要事は「贖い」です。
一言で言いますと旧約の時代は「物質の時代」新約の時代は「霊の時代」です。神は「旧約の時代」に長い時間をかけて、霊の事柄を類似の物質・・世・・の事柄で説明なさいました。旧約の時代はやがてやってくる新約の時代のものの「影」であると説明されています。類似のもので教えているだけで本物ではありません。
「祭りや新月や安息日は・・来たるべきものの影・・本体はキリストにあります。」(コロサイ 2:16-17)
「この(旧約の)祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。・・・もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、第二の契約が必要になる余地はなかったはずです。」(ヘブル 8:5-7)
「律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。・・キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。聖霊もまた、私たちに証ししておられます。というのも、「これらの日の後に、わたしが彼らと結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにこれを書き記す」と言った後で、「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」 と言われるからです。罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」(ヘブル 10:5-19)
旧約の歴史はイエスがこの世においでになるための通路をつくるためでした。
それと世はこの世だけでなく、霊の世界があって天、地、地獄があることが示されています。天と、地獄には更に区分がありますがそれは新約聖書に出ています。生きたまま天に言った二人の人物、エリヤとエノク(ヘブル 11:5)がいて、バンヤンも天路歴程に死の川をわたらずに天国行った二人の人物と書いています。いっぽう死なずに地獄(よみ)にいった人物たちも書かれています。(民数記 16:30-33)
何をいいたいのかと言いますと、イエスは天国は遠い死の先にあるのではなく、「もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」(マタイ 12:28)といわれたからです。つまり今の世にも天国がある・・霊の世界の・・ということです。永遠のいのちは死んでからでなく、今の世からはじまります。それが救われた人の与えられる「新生」のいのちです。同様に「永遠の死」も今の世からはじまることが示されています。
旧約聖書は「贖い」についていくつか教えています。
「過越」・・子羊の血を家の戸口の両方の柱とかもいに塗りました。これは「死」から救い出すものです。
「罪ととがのためのいけにえ」・・全焼の生けにえをはじめいろいろの規定があり、「罪」と「とが」を赦されるためのものです。雄牛の血や脂肪はじめいろいろの捧げ物があります。
「奴隷」・・が買い取られて自由にされること。
「夫が死んだ妻であった夫人」・・夫の近親の男がその人を買い取り、妻にして亡くなったひとの跡取りを残すものです。
「たましいの贖いの代価」・・地上のすべてのもので贖うことができない。(詩篇 49:3-15)・・神のみが贖われる。
「ツァラアトのきよめ」・・レビ記14:2以下。マタイ8:2-3。イエスの贖罪は「罪の根(原罪)」を「きよめる」ことを示しているのです。その象徴であるためツァラートは癒やされた時、「癒やされた」といわないで「きよめられた」といいます(ルカ 4:27)。
イエスがこの世においでになって、十字架上で死なれ、贖罪を完成してくださいました。
人は罪に陥り、すべての人がアダムのかたち・・すなわちサタンのかたち・・を受け継いで、罪の根を内に持ち、罪を犯す存在になりました。
イエス・キリストの贖罪は、人間の実行した罪を赦し、新しい霊のいのちに誕生させ、永遠のいのちがはじまります。神はそれに条件をつけられました。
それは「イエスを信じること」です。
イエスご自身がはっきり宣言しておられます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。・・
御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ 3:16-18,36)
サタンのかたち(罪の根)は打ち壊され、イエスのかたちになる(似たものとなる)恵みが備えられています。